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【読書感想】ジャン=ガブリエル・ガナシア『そろそろ、人工知能の真実を話そう』 なぜ世界を完成させてはいけないのか

 

そろそろ、人工知能の真実を話そう

そろそろ、人工知能の真実を話そう

 

 

 第三次AIブームの時代である。2011年、IBMのワトソンがクイズ番組「ジェパディ!」でクイズ王に挑戦し勝利した。2012年にはGoogleが猫を認識するAIを開発したと発表。2015年にはDeepMindがAtari 2600のゲームを自らルールを学びながらプレイするDQN(Deep Q Network)を開発し、研究成果がNature誌に掲載された。同社が開発した囲碁プログラムAlphaGoは2016年に韓国のトップ棋士勝利し世界的な話題となった。

 そんな時代に一匹の妖怪が徘徊している。シンギュラリティ(技術的特異点)という名の妖怪が。レイ・カーツワイルが2005年に著した『ポストヒューマン誕生』によれば、文明の進歩はムーアの法則に代表されるように指数関数的であり(収益加速の法則)、2045年頃には機械の知性と人類の知性が融合したポスト・ヒューマンが生まれるという。ジャン=ガブリエル・ガナシア著『そろそろ、人工知能の真実を話そう』は、シンギュラリティ仮説とグノーシス主義の類似を指摘する。

グノーシス派によると、偽の神が真の神の力を奪って偽りの世界を創造した後、大異変によってその世界が浄化され、真の神が正当な支配者として君臨するとされている。その結果、歩みの途中にあった時間が切断されて途切れ、後には正しい秩序が支配し、調和が訪れるのである。(中略)シンギュラリティにおいても、ある時、決定的な断絶が起こる。この断絶を迎えると、世界は作り直され、時間の流れが変化するのである。

どうやらモダニストらしい著者は、この様な思想は近代啓蒙主義以来の人間の自由を脅かすものとして批判する。

機械の人間の融合という、特に奇抜な可能性についてはどうだろう。もしそんなことができたならば、人間は自分の欲望を、すぐその場で満たすことができるようになるだろう。人間の欲望充足を妨げるものがなくなれば、人間は世界と切り離された存在とは言えなくなる。世界と同化してしまえば、人間の意志は消滅してしまう。人間の生きている時間は平坦なものとなり、大きな変化も起こらない。要するに、人間は神のような存在となるのだ。

 シンギュラリティは世界を完成させる。しかしその世界に人間は居ない。サン・マイクロシステムズの共同創業者ビル・ジョイの言う様に「未来はわれわれを必要としなくなる」。神のような存在と化したポスト・ヒューマンの姿はパオロ・バチガルピのSF小説『砂と灰の人々』に出てくる次の詩の通りであろう。

切られても血は出ない

ガス室でも息をしない

突かれても、撃たれても

裂かれても、潰されてもいい

私は全身科学

私は神

だから孤独

 こんな孤独な世界が科学の進歩の帰結とは皮肉な話である。だが安心していい。シンギュラリティは来ない。ムーアの法則は物理限界が近づいているし、流行のディープラーニングも騒がれているほどには万能ではない。人工知能ベンチャーのPFNは汎用人工知能の実現は今見えている技術の延長上には無いと断言しているが、私も同じ認識だ。実を言うと私は企業研究者として近年のAIブームから少なからず恩恵を受けている立場なのだが(ジャン=ガブリエルの言う「カタストロフィーの商人」の一員である)、今の異常なブームは数年以内に収束すると思っている。

 とはいえ、世界を完成させたいと願う人類の妄執は馬鹿にできないものがある。何といっても進歩の原動力である。ロシアコスミズムがロケット工学を生んだ様に、シンギュラリティの妄執から本当に新しい技術が生まれるかもしれない。その可能性に賭けるのも悪くないと思ってしまうのは、やはり私も「カタストロフィーの商人」側の人間だからなのだろうか。

 

ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき

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第六ポンプ (ハヤカワ文庫SF)

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